1958年(昭和33年)の松下通信:松下通信工業誕生

松下通信物語「未来つくりの半世紀」:Panasonic(パナソニック)再生の原点、システム事業のルーツ、松下通信工業株式会社の足跡・歴史

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1958年(昭和33年)の松下通信
■松下通信工業誕生
松下電器社長松下幸之助の命を受けて、通信機事業部長山口三津男が松下通信工業設立の準備を進めた。昭和33年1月16日、本社会議室で発起人総会を開催した後、翌17日に創立手続きを完了し、会社設立を対外発表した。1918年(大正7年)の松下電器創業から40年目に松下通信工業株式会社が誕生した。
■発足記念式での話
発足記念式は1月21日に松下電器厚生会館で、翌22日に東京工場で行われた。松下通信初代社長に就任した松下幸之助は、次のような骨子で挨拶を述べた。「無線通信の業務は発展性が強いが、技術・販売とも非常に難しい仕事。新会社として独立することで前途は無限に広がる。松下電器の関係会社の中で一番立派な会社にしなければならない。」
■引き継いだ事業
松下電器の通信機事業部とラジオ事業部東京工場を引き継ぎ、産業用エレクトロニクス分野を継承した。超短波無線装置、ワイヤレスマイク、有線放送装置、インターホン、学校用・建築用音響再生装置、オートラジオ、ミュージックチャイム、各種計測器、レコードプレーヤー、電解コンデンサー等が松下通信発足時の担当製品となった。
■発足時の概要、組織
本社は松下電器本社所在地、資本金は2億円、従業員は951名、役員は社長に松下幸之助、常務に山口美津男、取締役に三原芳三郎、小谷稔、吉田亞夫、松下電器から非常勤取締役として松下正治、高橋荒太郎、中尾哲二郎が参加した。従業員はすべて松下電器在籍のまま出向の形をとった。大阪工場、東京工場に加え、企画、総務、経理、研究、技術、営業の6部で始まった。
■東京営業所の開設
昭和33年5月、港区のナショナルビル内に東京営業所を開設すると共に、松下電器東京営業所、東京特販営業所の業務を引き継いだ。東京営業所は、松下通信の特殊性を考慮して技術開発に関わる営業技術や官公庁への販売業務も加わり、販売営業面での大きな戦力となった。
1958年(昭和33年)の納入製品・販売製品
・移動無線機が初めて電電公社に採用決定。
・立体音響装置を毎日大阪会館、毎日ホールに納入。
・多数言語翻訳放送装置を国際サロンに納入。
・第1号音声調整装置を電通・京都スタジオに納入。

発足記念式典での山口常務

発足時の本社大阪工場

発足時の東京工場

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■目次

第1部:未来つくりの日々
1958年:松下通信工業誕生、発足記念式での話、引き継いだ事業、発足時の概要・組織、東京営業所の開設/ 1959年:本社工場用地取得、人材の採用、品種別組織の採用、FM無線機の事業化、販売会社の設立/ 1960年:横浜綱島に本社工場移転、労組新支部と新従業員組織の発足、電子学校の開設、録音機事業を移管/ 1961年:事業部制の導入、電話機器分野に進出/ 1962年:3事業部制から6事業部制へ、FM放送装置の開発/ 1963年:増設工事の実施、大幅増資の実施、マイクロホンの量産化/ 1964年:電子計算機事業からの撤退、東京オリンピックへの機器納入、佐江戸地区の用地取得、綱島地区第3期工事竣工/ 1965年:販売網の整備、完全週休2日制の実施、スローガン決定/ 1966年:田中新社長の就任、テレビカメラを事業化/ 1967年:郵政省への機器納入、佐江戸地区への移転/ 1968年:株式を上場、ミニコンピュータの開発、ポケットベルの開発、自動車電話の開発/ 1969年:事業部の再編・統合、事業本部制の導入/1970年:松下正治会長の就任、交通管制システムの開発、衛星搭載機器の開発/ 1971年:集積回路工場竣工、視聴覚機器事業部を佐江戸北地区へ、鉄道自動案内放送システムの開発/ 1972年:担当専務制の導入、海外に自動車電話を輸出/ 1973年:ミニコンで富士通と連携、自動放送システムの開発、カーラジオ生産1千万台を達成/ 1974年:福島県白河に工場展開、長野県松本に工場展開/ 1975年:タクシー自動配車システムの開発、POSシステムへの参入/


第2部:業界のリーダに
1976年:小蒲新社長の就任、800MHz帯自動車電話を商用化/ 1977年:小蒲社長の運営方針、カーコンポ時代の到来/ 1978年:デジタルビデオプロセッサの開発、カーステレオが北米で好評/ 1979年:ソフト会社の設立、工事会社の設立、プロ用サウンドRAMSAブランド誕生、カーラジオ生産2千万台を達成/ 1980年:研究開発体制の強化、カーエレクトロニクス時代へ/ 1981年:ビデオカメラ事業部を新設、岩手県花巻市に進出/ 1982年:アストロビジョンの開発、MCA無線システムの開発、パソコン事業での挫折/ 1983年:創立25周年での思い、組合要求でスポーツセンター竣工、光通信LANの開発、アメリカ松下通信の創業、情報システム事業部、メモリー装置事業部の新設/ 1984年:超波診断装置をシーメンスへ、集荷情報処理システムの開発/ 1985年:アメリカ松下通信の子会社化、ドイツ松下通信の設立、技術研究棟を佐江戸地区に、ショルダーホンの開発/ 1986年:石澤新社長の就任、石澤体制の役員陣容/ 1987年:Nシステムの開発、アメリカ松下通信、シカゴからアトランタへ、フィリピン松下通信の設立/ 1988年:イギリス松下通信の設立、松下通信仙台研究所の設立、電波事業部樽町工場の展開/


第3部:モバイル日本一へ
1989年:松田新社長の就任、松田体制の役員陣容、松下通信金沢研究所の設立/ 1990年:経営ビジョン「10年構想」を策定、事業本部制を再導入/ 1991年:携帯電話「ムーバーP」快進撃開始、松下通信静岡研究所の設立、静岡工場を竣工/ 1992年:テレコム研究所、AV&C研究所を設立、北京松下通信を設立、YRPへの参画を開始、カーナビゲーションの開発/ 1993年:川田新社長の就任、川田体制の役員陣容、米国エミー賞3年連続受賞、パーソナルコミュニケーション事業部を新設、ビジネスワープロ事業の移管/ 1994年:米国マグドナルド向けPOSシステム好評、カーエレクトロニクス事業部、カーシステム事業部の新設/ 1995年:YRP移動通信基盤技術研究所設立を主導、メキシコ松下通信、大連松下通信を設立、PHSサービスの開始に貢献、蘇州松下通信を設立、カーオーディオ、生産累計1億台を達成/ 1996年:YRPへの単独進出を決定、コミュニケーションシステム事業部を新設、放送システム事業部を新設/ 1997年:ITS事業開発センターを新設、発展2000年計画を策定、ITS評価実験施設を竣工/ 1998年:創立40周年を挙行、国内携帯電話が高い評価、松下通信YRP研究所を竣工、全工場が環境認証を取得、西暦2000年問題への対応/ 1999年:ETCシステムでトップに、W-CDMA端末・基地局メーカーに指定、英国シンビアン社に出資、SDカードの導入検討を開始、放送システム事業の移管/ 2000年:ソフト開発体制の強化、初の海外IR活動の実施、W-CDMA基地局装置を初出荷/ 2001年:海外での移動体開発体制の強化、欧州携帯電話事業の再編、グローバル1兆円を達成、桂新社長の就任、桂体制の役員陣容、カンパニー制の導入、携帯電話プラットフォーム開発の強化、NECとW-CDMA端末で提携、W-CDMA端末を初出荷、佐江戸新研究棟の竣工/ 2002年:630名の早期退職、初めての赤字決算、松下電器の完全子会社化へ/ 2003年:松下通信の消滅/ 

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