松下通信物語「未来つくりの半世紀」:パナソニック再生の原点、システム事業のルーツ

松下通信物語「未来つくりの半世紀」:Panasonic(パナソニック)再生の原点、システム事業のルーツ、松下通信工業株式会社の足跡・歴史

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■Panasonic再生の原点はシステム事業、そのルーツとなる松下通信工業の足跡を振り返ります。

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■はじめに

 家庭電化製品が主力の松下グループの中で、産業分野、システム分野を担当した松下通信は、「電子技術で未来をひらく」を合言葉に数多くの先進的な無線機器、映像機器、自動車機器等を世に出してきた。

 松下電器創業者松下幸之助の強い思いにより1958年・昭和33年に誕生し、半世紀もの間、社会の進歩に貢献してそれぞれの分野で業界のリーダーとなり、ピーク時の2001年・平成13年にはグローバル1兆円の業績を達成するまでに成長した。

 2003年・平成15年、松下電器社長中村邦夫の「破壊と創造」の施策により、モバイル、自動車、システム、通信、ヘルスケア等に分割して松下電器営業部門、九州松下電器、松下寿電子等と再編統合され、法的にはパナソニックモバイルが継承するも松下通信は事実上消滅した。

 松下通信という会社が消えてから10年後、松下電器から名を変えたパナソニックは主力テレビ事業の失速と大型M&Aによる混乱により二期連続の巨額赤字となる。未曾有の経営危機に直面したパナソニックは、世間からかってない厳しい評価を受けることになった。

 前任の大坪文雄から交代した社長津賀一宏は、テレビは最早主力事業ではない、今は普通の会社ではない、といった言葉で従業員の意識改革を求め、システム事業を中心とした経営に大きく構造転換を図ることでパナソニックの再生を目指している。

 システム事業のルーツは松下通信にあり、松下通信で働いたものにとっては、じくちたる思いが残る。モバイル事業の苦戦も無念の思いが強い。この機会に松下通信が歩んだ道を振り返るべきではないかとの思いが、このサイトの作成に踏み切るきっかけとなった。

 本松下通信物語「未来つくりの半世紀」は、約半世紀の事業活動を、1部、2部、3部に分け、それぞれ異なった切り口で、且つわかりやすくまとめた。松下通信が果たしてきた役割を、多くの皆様に少しでも再認識していただければと願いたい。

2013年11月  編集責任者 原田修二
shou.hanyu@top5.co.jp  
-株式会社トップファイブシステム10周年記念事業-
※2014年6月に電子出版物として商標登録いたしました。
「登録第5679096号」

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■目次

第1部:未来つくりの日々
1958年:松下通信工業誕生、発足記念式での話、引き継いだ事業、発足時の概要・組織、東京営業所の開設/ 1959年:本社工場用地取得、人材の採用、品種別組織の採用、FM無線機の事業化、販売会社の設立/ 1960年:横浜綱島に本社工場移転、労組新支部と新従業員組織の発足、電子学校の開設、録音機事業を移管/ 1961年:事業部制の導入、電話機器分野に進出/ 1962年:3事業部制から6事業部制へ、FM放送装置の開発/ 1963年:増設工事の実施、大幅増資の実施、マイクロホンの量産化/ 1964年:電子計算機事業からの撤退、東京オリンピックへの機器納入、佐江戸地区の用地取得、綱島地区第3期工事竣工/ 1965年:販売網の整備、完全週休2日制の実施、スローガン決定/ 1966年:田中新社長の就任、テレビカメラを事業化/ 1967年:郵政省への機器納入、佐江戸地区への移転/ 1968年:株式を上場、ミニコンピュータの開発、ポケットベルの開発、自動車電話の開発/ 1969年:事業部の再編・統合、事業本部制の導入/1970年:松下正治会長の就任、交通管制システムの開発、衛星搭載機器の開発/ 1971年:集積回路工場竣工、視聴覚機器事業部を佐江戸北地区へ、鉄道自動案内放送システムの開発/ 1972年:担当専務制の導入、海外に自動車電話を輸出/ 1973年:ミニコンで富士通と連携、自動放送システムの開発、カーラジオ生産1千万台を達成/ 1974年:福島県白河に工場展開、長野県松本に工場展開/ 1975年:タクシー自動配車システムの開発、POSシステムへの参入/

第2部:業界のリーダに
1976年:小蒲新社長の就任、800MHz帯自動車電話を商用化/ 1977年:小蒲社長の運営方針、カーコンポ時代の到来/ 1978年:デジタルビデオプロセッサの開発、カーステレオが北米で好評/ 1979年:ソフト会社の設立、工事会社の設立、カーラジオ生産2千万台を達成/ 1980年:研究開発体制の強化、カーエレクトロニクス時代へ/ 1981年:ビデオカメラ事業部を新設、岩手県花巻市に進出/ 1982年:アストロビジョンの開発、MCA無線システムの開発、パソコン事業での挫折/ 1983年:創立25周年での思い、組合要求でスポーツセンター竣工、光通信LANの開発、アメリカ松下通信の創業、情報システム事業部、メモリー装置事業部の新設/ 1984年:超波診断装置をシーメンスへ、集荷情報処理システムの開発/ 1985年:アメリカ松下通信の子会社化、ドイツ松下通信の設立、技術研究棟を佐江戸地区に、ショルダーホンの開発/ 1986年:石澤新社長の就任、石澤体制の役員陣容/ 1987年:Nシステムの開発、アメリカ松下通信、シカゴからアトランタへ、フィリピン松下通信の設立/ 1988年:イギリス松下通信の設立、松下通信仙台研究所の設立、電波事業部樽町工場の展開/

第3部:モバイル日本一へ
1989年:松田新社長の就任、松田体制の役員陣容、松下通信金沢研究所の設立/ 1990年:経営ビジョン「10年構想」を策定、事業本部制を再導入/ 1991年:携帯電話「ムーバーP」快進撃開始、松下通信静岡研究所の設立、静岡工場を竣工/ 1992年:テレコム研究所、AV&C研究所を設立、北京松下通信を設立、YRPへの参画を開始、カーナビゲーションの開発/ 1993年:川田新社長の就任、川田体制の役員陣容、米国エミー賞3年連続受賞、パーソナルコミュニケーション事業部を新設、ビジネスワープロ事業の移管/ 1994年:米国マグドナルド向けPOSシステム好評、カーエレクトロニクス事業部、カーシステム事業部の新設/ 1995年:YRP移動通信基盤技術研究所設立を主導、メキシコ松下通信、大連松下通信を設立、PHSサービスの開始に貢献、蘇州松下通信を設立、カーオーディオ、生産累計1億台を達成/ 1996年:YRPへの単独進出を決定、コミュニケーションシステム事業部を新設、放送システム事業部を新設/ 1997年:ITS事業開発センターを新設、発展2000年計画を策定、ITS評価実験施設を竣工/ 1998年:創立40周年を挙行、国内携帯電話が高い評価、松下通信YRP研究所を竣工、全工場が環境認証を取得、西暦2000年問題への対応/ 1999年:ETCシステムでトップに、W-CDMA端末・基地局メーカーに指定、英国シンビアン社に出資、SDカードの導入検討を開始、放送システム事業の移管/ 2000年:ソフト開発体制の強化、初の海外IR活動の実施、W-CDMA基地局装置を初出荷/ 2001年:海外での移動体開発体制の強化、欧州携帯電話事業の再編、グローバル1兆円を達成、桂新社長の就任、桂体制の役員陣容、カンパニー制の導入、携帯電話プラットフォーム開発の強化、NECとW-CDMA端末で提携、W-CDMA端末を初出荷、佐江戸新研究棟の竣工/ 2002年:630名の早期退職、初めての赤字決算、松下電器の完全子会社化へ/ 2003年:松下通信の消滅/ 

※会社名・組織名は松下通信傘下当時のものです。

1本社・綱島工場(昭和35年)150.jpg1本社・綱島工場(昭和35年)150.jpg綱島地区事業場(昭和35年)2本社・綱島工場(平成14年)150.jpg2本社・綱島工場(平成14年)150.jpg綱島地区事業場(平成14年)3佐江戸工場150.jpg3佐江戸工場150.jpg佐江戸地区事業場

4松本工場150.jpg4松本工場150.jpg松本工場
5白河工場150.jpg5白河工場150.jpg白河工場6花巻工場150.jpg6花巻工場150.jpg花巻工場7静岡工場150.jpg7静岡工場150.jpg静岡工場

8仙台研究所150.jpg8仙台研究所150.jpg仙台研究所
10アメリカ松下通信.jpg10アメリカ松下通信.jpgアメリカ松下通信11ドイツ松下通信150.jpg11ドイツ松下通信150.jpgドイツ松下通信12イギリス松下通信150.jpg12イギリス松下通信150.jpgイギリス松下通信

13フィリピン松下通信150.jpg13フィリピン松下通信150.jpgフィリピン松下通信
14北京松下通信150.jpg14北京松下通信150.jpg北京松下通信15メキシコ松下通信150.jpg15メキシコ松下通信150.jpgメキシコ松下通信16蘇州松下通信150.jpg16蘇州松下通信150.jpg蘇州松下通信

9YRP研究所150.jpg9YRP研究所150.jpgYRP研究所




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本社・綱島工場での朝会風景