1959年(昭和34年)の松下通信:本社工場用地取得

松下通信物語「未来つくりの半世紀」:Panasonic(パナソニック)再生の原点、システム事業のルーツ、松下通信工業株式会社の足跡・歴史

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1959年(昭和34年)の松下通信
■本社工場用地取得
発足時から東京進出を実現するため、川崎・横浜方面、三鷹方面、厚木方面の3候補地を検討し、横浜市の積極的な工場誘致もあり横浜綱島への展開を決定。土地所有者との粘り強い買収交渉の後、昭和34年3月に5万平方メートル弱の敷地面積の取得を完了、すぐ建築に入り9月に地鎮祭を行った。
■人材の採用
新しい人材の採用は発足準備段階から始まり、毎年積極的な人材確保が進められた。新卒のみでなく官庁や学校等をターゲットに優れた人材を迎えるとともに、逐次生産要員の募集も行った。発足時1,000名弱の従業員は、5年後に2,000名弱となり、10年後に3,000名を超えた。
■品種別組織の採用
昭和34年5月、機能別組織を改め品種別の分権管理組織を採用。大阪工場の組織は、発足時の購買課、資材課、製造課、検査課から、音響部、録音部、無線部、伝送部に再編成され、東京工場も同様に第2音響部、計測部に再編成された。
■FM無線機の事業化
松下通信牽引の主軸となるFM無線機は、すでに会社発足前に警察用無線機として実用化されていたが、発足後さらに民需無線機としての展開を加速する。特にタクシー無線機の需要が急増し、昭和34年中には4,000台の納入を達成する。当時の開発陣の写真には、後に社長となる小蒲秋定、専務となる岸卓、吉山龍夫の若い姿が写っている。
■販売会社の設立
製品販売は、当初、松下電器市販ルート営業に依存していたものの、製品の特殊性から松下通信50%以上出資の専門販売会社の設立を急速に進めた。昭和34年8月までに、名古屋ナショナル通信機販売、神奈川ナショナル通信機販売、岡山ナショナル通信機販売、東京ナショナル通信機販売、北海道ナショナル通信機販売、北九州ナショナル通信工業の6社が設立された。 その後も計測器や電話機を扱う専門販売会社が地域別に設立され整備が進められた。
1959年(昭和34年)の納入製品・販売製品
・わが国初の400MHz帯ポータブル無線機を発売。
・トランジスタ化オートラジオをトヨタ自動車に納入。
・トランジスタ化放送用遠隔制御装置をNHKに納入。
・電子計算機第1号機「MADIC-I」完成。
・HiFi放送中継装置納入をNHK大阪放送局に納入。

松下幸之助社長の工場用地視察

事業を牽引したタクシー無線機

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■目次

第1部:未来つくりの日々
1958年:松下通信工業誕生、発足記念式での話、引き継いだ事業、発足時の概要・組織、東京営業所の開設/ 1959年:本社工場用地取得、人材の採用、品種別組織の採用、FM無線機の事業化、販売会社の設立/ 1960年:横浜綱島に本社工場移転、労組新支部と新従業員組織の発足、電子学校の開設、録音機事業を移管/ 1961年:事業部制の導入、電話機器分野に進出/ 1962年:3事業部制から6事業部制へ、FM放送装置の開発/ 1963年:増設工事の実施、大幅増資の実施、マイクロホンの量産化/ 1964年:電子計算機事業からの撤退、東京オリンピックへの機器納入、佐江戸地区の用地取得、綱島地区第3期工事竣工/ 1965年:販売網の整備、完全週休2日制の実施、スローガン決定/ 1966年:田中新社長の就任、テレビカメラを事業化/ 1967年:郵政省への機器納入、佐江戸地区への移転/ 1968年:株式を上場、ミニコンピュータの開発、ポケットベルの開発、自動車電話の開発/ 1969年:事業部の再編・統合、事業本部制の導入/1970年:松下正治会長の就任、交通管制システムの開発、衛星搭載機器の開発/ 1971年:集積回路工場竣工、視聴覚機器事業部を佐江戸北地区へ、鉄道自動案内放送システムの開発/ 1972年:担当専務制の導入、海外に自動車電話を輸出/ 1973年:ミニコンで富士通と連携、自動放送システムの開発、カーラジオ生産1千万台を達成/ 1974年:福島県白河に工場展開、長野県松本に工場展開/ 1975年:タクシー自動配車システムの開発、POSシステムへの参入/


第2部:業界のリーダに
1976年:小蒲新社長の就任、800MHz帯自動車電話を商用化/ 1977年:小蒲社長の運営方針、カーコンポ時代の到来/ 1978年:デジタルビデオプロセッサの開発、カーステレオが北米で好評/ 1979年:ソフト会社の設立、工事会社の設立、プロ用サウンドRAMSAブランド誕生、カーラジオ生産2千万台を達成/ 1980年:研究開発体制の強化、カーエレクトロニクス時代へ/ 1981年:ビデオカメラ事業部を新設、岩手県花巻市に進出/ 1982年:アストロビジョンの開発、MCA無線システムの開発、パソコン事業での挫折/ 1983年:創立25周年での思い、組合要求でスポーツセンター竣工、光通信LANの開発、アメリカ松下通信の創業、情報システム事業部、メモリー装置事業部の新設/ 1984年:超波診断装置をシーメンスへ、集荷情報処理システムの開発/ 1985年:アメリカ松下通信の子会社化、ドイツ松下通信の設立、技術研究棟を佐江戸地区に、ショルダーホンの開発/ 1986年:石澤新社長の就任、石澤体制の役員陣容/ 1987年:Nシステムの開発、アメリカ松下通信、シカゴからアトランタへ、フィリピン松下通信の設立/ 1988年:イギリス松下通信の設立、松下通信仙台研究所の設立、電波事業部樽町工場の展開/


第3部:モバイル日本一へ
1989年:松田新社長の就任、松田体制の役員陣容、松下通信金沢研究所の設立/ 1990年:経営ビジョン「10年構想」を策定、事業本部制を再導入/ 1991年:携帯電話「ムーバーP」快進撃開始、松下通信静岡研究所の設立、静岡工場を竣工/ 1992年:テレコム研究所、AV&C研究所を設立、北京松下通信を設立、YRPへの参画を開始、カーナビゲーションの開発/ 1993年:川田新社長の就任、川田体制の役員陣容、米国エミー賞3年連続受賞、パーソナルコミュニケーション事業部を新設、ビジネスワープロ事業の移管/ 1994年:米国マグドナルド向けPOSシステム好評、カーエレクトロニクス事業部、カーシステム事業部の新設/ 1995年:YRP移動通信基盤技術研究所設立を主導、メキシコ松下通信、大連松下通信を設立、PHSサービスの開始に貢献、蘇州松下通信を設立、カーオーディオ、生産累計1億台を達成/ 1996年:YRPへの単独進出を決定、コミュニケーションシステム事業部を新設、放送システム事業部を新設/ 1997年:ITS事業開発センターを新設、発展2000年計画を策定、ITS評価実験施設を竣工/ 1998年:創立40周年を挙行、国内携帯電話が高い評価、松下通信YRP研究所を竣工、全工場が環境認証を取得、西暦2000年問題への対応/ 1999年:ETCシステムでトップに、W-CDMA端末・基地局メーカーに指定、英国シンビアン社に出資、SDカードの導入検討を開始、放送システム事業の移管/ 2000年:ソフト開発体制の強化、初の海外IR活動の実施、W-CDMA基地局装置を初出荷/ 2001年:海外での移動体開発体制の強化、欧州携帯電話事業の再編、グローバル1兆円を達成、桂新社長の就任、桂体制の役員陣容、カンパニー制の導入、携帯電話プラットフォーム開発の強化、NECとW-CDMA端末で提携、W-CDMA端末を初出荷、佐江戸新研究棟の竣工/ 2002年:630名の早期退職、初めての赤字決算、松下電器の完全子会社化へ/ 2003年:松下通信の消滅/ 

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本社・綱島工場での朝会風景