ムーバP206,ムーバP207,松下通信YRP研究所, 西暦2000年問題への対応,1998年(平成10年)の松下通信 of 松下通信物語「未来つくりの半世紀」:パナソニック再生の原点、システム事業のルーツ

松下通信物語「未来つくりの半世紀」:Panasonic(パナソニック)再生の原点、システム事業のルーツ、松下通信工業株式会社の足跡・歴史

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1998年(平成10年)の松下通信
■創立40周年を挙行
平成10年は松下通信創立40周年にあたり、4月、綱島スポーツセンターを本会場に全国各拠点で記念式典を開催した。川田社長は、「一致団結して新たな事業に果敢に挑戦し、成長を続ける企業にしたい。」と決意を述べた。5月には共栄会社代表、組合代表と共に記念植樹式、お得意先様との経営懇談会、横浜、花巻、白河、松本、掛川の各自治体への従業員名での寄付等、多彩な行事を展開した。
■国内携帯電話が高い評価
平成10年2月、NTTドコモ向けに79g、78ccのムーバP206を納入、10月には68g、68ccのムーバP207を納入し、世界最小・最軽量モデルとして高い評価を得た。静岡工場での月間生産台数は100万台を超え、8月に生産累計2,000万台を達成した。
■松下通信YRP研究所を竣工
平成10年7月、横須賀YRP地区への松下通信の単独進出となるYRP研究所を竣工。7千平方メートル弱の用地を取得し建築延面積1万2千平方メートル6階建ての研究所を建設、YRPでの携帯電話メーカーとして最初の単独進出となった。所長本間光一以下、第3世代携帯電話W-CDMAの開発部隊が佐江戸地区から移動し、世界初の3G携帯電話「FOMA」1号機の開発拠点となった。用地は後に大きく買い増した。
■全工場が環境認証を取得
環境対応が企業の社会的使命とされる中、各工場で積極的な環境認証取得を推進。平成10年までに、綱島、佐江戸、松本、白河、花巻、静岡の国内6工場のみでなく、海外9工場を含むすべての工場でISO14001認証を取得した。
■西暦2000年問題への対応
西暦2000問題への対応は、膨大なシステム機器を開発納入してきた松下通信には重要な課題。平成10年6月、管理担当専務土井享を委員長に、経営企画部長原田を総括事務局長とする全社委員会により対応を開始。事業部毎にこれまでの全納入製品を精査すると共に、課題発生時には即座に対応し情報が集約できる体制を構築した。
1998年(平成10年)の納入製品・販売製品
・FDD、フィリピン松下通信での生産累計5,000万台を達成
・IDO向け携帯電話「デジタルミニモ521G」を発売
・セルラーグループ向け携帯電話「デジタルセルラーホンHD-60P」を発売
・世界最小・最速の1DIN高精度DVDカーナビゲーションを発売
・ECM、白河工場で生産累計20億個を達成
・W-CDMA基地局シュミレータ、移動局シュミレータを開発
・国内携帯電話、生産累計2,000万台を達成
・動画再生機能搭載の次世代DVDカーナビゲーションを発売
・世界初、車載用MPEG再生DVDデッキ量産開始

1998 創立40周年記念式典.jpg創立40周年記念式典

1998ムーバーP207.jpg世界最小最軽量ムーバーP207

1998YRP研究所竣工.jpgYRP研究所竣工

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■目次

第1部:未来つくりの日々
1958年:松下通信工業誕生、発足記念式での話、引き継いだ事業、発足時の概要・組織、東京営業所の開設/ 1959年:本社工場用地取得、人材の採用、品種別組織の採用、FM無線機の事業化、販売会社の設立/ 1960年:横浜綱島に本社工場移転、労組新支部と新従業員組織の発足、電子学校の開設、録音機事業を移管/ 1961年:事業部制の導入、電話機器分野に進出/ 1962年:3事業部制から6事業部制へ、FM放送装置の開発/ 1963年:増設工事の実施、大幅増資の実施、マイクロホンの量産化/ 1964年:電子計算機事業からの撤退、東京オリンピックへの機器納入、佐江戸地区の用地取得、綱島地区第3期工事竣工/ 1965年:販売網の整備、完全週休2日制の実施、スローガン決定/ 1966年:田中新社長の就任、テレビカメラを事業化/ 1967年:郵政省への機器納入、佐江戸地区への移転/ 1968年:株式を上場、ミニコンピュータの開発、ポケットベルの開発、自動車電話の開発/ 1969年:事業部の再編・統合、事業本部制の導入/1970年:松下正治会長の就任、交通管制システムの開発、衛星搭載機器の開発/ 1971年:集積回路工場竣工、視聴覚機器事業部を佐江戸北地区へ、鉄道自動案内放送システムの開発/ 1972年:担当専務制の導入、海外に自動車電話を輸出/ 1973年:ミニコンで富士通と連携、自動放送システムの開発、カーラジオ生産1千万台を達成/ 1974年:福島県白河に工場展開、長野県松本に工場展開/ 1975年:タクシー自動配車システムの開発、POSシステムへの参入/

第2部:業界のリーダに
1976年:小蒲新社長の就任、800MHz帯自動車電話を商用化/ 1977年:小蒲社長の運営方針、カーコンポ時代の到来/ 1978年:デジタルビデオプロセッサの開発、カーステレオが北米で好評/ 1979年:ソフト会社の設立、工事会社の設立、プロ用サウンドRAMSAブランド誕生、カーラジオ生産2千万台を達成/ 1980年:研究開発体制の強化、カーエレクトロニクス時代へ/ 1981年:ビデオカメラ事業部を新設、岩手県花巻市に進出/ 1982年:アストロビジョンの開発、MCA無線システムの開発、パソコン事業での挫折/ 1983年:創立25周年での思い、組合要求でスポーツセンター竣工、光通信LANの開発、アメリカ松下通信の創業、情報システム事業部、メモリー装置事業部の新設/ 1984年:超波診断装置をシーメンスへ、集荷情報処理システムの開発/ 1985年:アメリカ松下通信の子会社化、ドイツ松下通信の設立、技術研究棟を佐江戸地区に、ショルダーホンの開発/ 1986年:石澤新社長の就任、石澤体制の役員陣容/ 1987年:Nシステムの開発、アメリカ松下通信、シカゴからアトランタへ、フィリピン松下通信の設立/ 1988年:イギリス松下通信の設立、松下通信仙台研究所の設立、電波事業部樽町工場の展開/

第3部:モバイル日本一へ
1989年:松田新社長の就任、松田体制の役員陣容、松下通信金沢研究所の設立/ 1990年:経営ビジョン「10年構想」を策定、事業本部制を再導入/ 1991年:携帯電話「ムーバーP」快進撃開始、松下通信静岡研究所の設立、静岡工場を竣工/ 1992年:テレコム研究所、AV&C研究所を設立、北京松下通信を設立、YRPへの参画を開始、カーナビゲーションの開発/ 1993年:川田新社長の就任、川田体制の役員陣容、米国エミー賞3年連続受賞、パーソナルコミュニケーション事業部を新設、ビジネスワープロ事業の移管/ 1994年:米国マグドナルド向けPOSシステム好評、カーエレクトロニクス事業部、カーシステム事業部の新設/ 1995年:YRP移動通信基盤技術研究所設立を主導、メキシコ松下通信、大連松下通信を設立、PHSサービスの開始に貢献、蘇州松下通信を設立、カーオーディオ、生産累計1億台を達成/ 1996年:YRPへの単独進出を決定、コミュニケーションシステム事業部を新設、放送システム事業部を新設/ 1997年:ITS事業開発センターを新設、発展2000年計画を策定、ITS評価実験施設を竣工/ 1998年:創立40周年を挙行、国内携帯電話が高い評価、松下通信YRP研究所を竣工、全工場が環境認証を取得、西暦2000年問題への対応/ 1999年:ETCシステムでトップに、W-CDMA端末・基地局メーカーに指定、英国シンビアン社に出資、SDカードの導入検討を開始、放送システム事業の移管/ 2000年:ソフト開発体制の強化、初の海外IR活動の実施、W-CDMA基地局装置を初出荷/ 2001年:海外での移動体開発体制の強化、欧州携帯電話事業の再編、グローバル1兆円を達成、桂新社長の就任、桂体制の役員陣容、カンパニー制の導入、携帯電話プラットフォーム開発の強化、NECとW-CDMA端末で提携、W-CDMA端末を初出荷、佐江戸新研究棟の竣工/ 2002年:630名の早期退職、初めての赤字決算、松下電器の完全子会社化へ/ 2003年:松下通信の消滅/ 

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本社・綱島工場での朝会風景

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